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コラム Q&A 法律のいう離婚原因

調査の窓から  さまざまな人間関係・世情・社会的関心ごとなど適宜取り上げていきます
調査を通していろいろな人間模様を垣間見ることができます。
このコーナーは、調査を通して感じた事を始め、世情、社会的関心ごとなどを適宜取り上げます。ご意見・ご感想など、Eメールでドシドシお寄せください。お待ちしております。


第18回 【 私はメールで離婚しました 】

メールは大変便利である。いつでも、どこからでも自分の用件を相手に伝えることができる。使い慣れた人には感心させられる。自転車に乗りながら携帯電話でメールを打っているのである。危ないのに、と思いながらついついその姿に見入ってしまったりする時もある。

携帯電話を使ってメールのやりとりをしている人の表情を見ていると、いろいろな表情に出くわす。携帯電話の小さな画面を真剣な表情でのぞき込んでいる人。それとは逆に笑顔を浮かべながら画面を見つめている人、様々である。真剣な表情をしている人は、携帯の画面を自分の顔に近づけて見ているのに対して、笑顔で携帯の画面を見ている人は、少し離して見ている人が多いのに気づく。

携帯電話でのメールのやりとりの多くは、プライベートな関係の人とのやりとりが多いと思う。メールをやりとりする相手のことはお互いによく知っているので、文書は簡潔なものになるだろう。言葉の説明など省いた、至って単純化された電子文書のやりとりになってしまう。実はここに人間関係における重大な問題が潜んでいるように思う。

メールは、簡潔な電子文字となって伝えたい相手に、送り手の気持ちを瞬時に伝えることができる。簡潔な文書故、受け取る側の、そのときの気持ちによって送られてきた電子文書は、誤解を招く可能性を秘めているのである。

送り手の気持ちと受取手の気持ちが一体化された状態で、メールのやりとりが行われている状態であれば問題はないのだろう。しかし、簡潔な電子文書はいつでもどこでも送り手の気持ちの通り、受け手に通じるとは言えない場合がある。

メールは、電子文書によって送り手と受け手の気持ちのやりとりをする道具である。目の前にいない相手に自分の気持ちを簡潔な文字で伝えたり、受け取ったりするのである。直接顔を合わせずに気持ちのやりとりをする場合、お互いのそのときの気持ちが、ある方向に向かって一致してないとうまくいかないのではないか。一方の気持ちが安定している状態であって、一方が感情的におもしろくない状態にある場合に問題が発生する要因があるように思う。

簡潔な文書を電子に乗せて相手に送るメールは、受け取る側のそのときの気持ちによって、送られてきた言葉がいろいろな意味に受け取られるようである。送り手の気持ちを普段どおりに受け取れる場合は、メールでコミュニケーションがはかれるので問題はない。

問題は、メールの送り手と受け手の気持ちにずれがある場合である。送る方はいつもの感覚でメールを送っても、受ける方の気持ちが不安定で感情的になっていたりすると、メールの中のちょっとした「言葉」が気になったりするようである。非難されているのではないか、とか攻撃されているように感じたりする様だ。

私の知り合いの女性は、メールのやりとりをご主人に見られたそうだ。ある男性からの「コンサートをご一緒したい。」という内容のメールをご主人が見たのだ。それから、ご主人はメールの相手と、不倫をしていると思いこんだのであった。メールの相手男性は、どこの誰だとしつこく聞いてきた、と言っていた。実は、女性がメール交換していた男性は、一度も会ったことがない単なるメル友で、退屈しのぎにメールの交換を 2 〜 3 回した程度の関係だったので、ご主人にその男性の素性を聞かれても答えようがなかったのである。

ご主人は、自分の問いかけに対して、妻の返事があやふやでハッキリしないものだから、奥様のことを何かと詮索し始めたそうである。外出先はもちろん、帰宅時間の管理から、服装、持ち物のひとつひとつに至るまで詮索し、お金の管理もご主人がするようになった、と言っていた。その結果、毎日の生活の中で奥様が自由にできるお金は全くと言っていいほど無くなったそうである。奥様がいくらメル友のことについて説明しても聞く耳を持たないご主人だったのである。

おまえは、浮気をしている。そうじゃないただのメル友で一度も会ったことはない。単なるメール上の言葉遊びである。この繰り返しの生活にいやになった、当の女性は家裁に離婚調停を申請したのであった。その結果、つい最近離婚が成立したのである。

メールは、電子文書に乗せて感情移入される。ある一部の言葉が受手によって、そのときの受け取り側の感情によって、言葉が一人歩きする傾向がある。受け取る側が良い方に解釈すれば問題ない。しかし、受け取る側の気持ちが穏やかでない場合は、悪意に解釈される場合もある。このときが問題なのである。直接向き合っての対話の場合だと、誤解を解くことができる。しかし、メールの場合はそうはいかない。

普段親しい仲間同士の会話に何気なく使う「そんな馬鹿な・・・」という言葉が有り、よく使う。この様な言葉を使っている大部分の人は、会話の相手を本当に「馬鹿」と思って使っているわけではない。「そんな馬鹿な・・・」という言葉を使う場合、相手の言うことを柔らかく否定したり、それは違うのではないか、そんな事ってあるの、というように自分には考えられないこととか予想もしなかったことに対して「否定的」に軽い気持ちで使っている。

しかし、メールの受け手の気持ちが穏やかでない場合は、「馬鹿」という文字だけが勝手にメールの受け手に解釈され、一人歩きしてしまう場合もあるようだ。あの人は普段親友と思っていたのに「馬鹿」と言っている。本当は、私のことを「馬鹿」と思っていたのではないだろうか。きっとそうに違いない。と、いうように、自分の不安定な気持ちを土台にしてメールの言葉を解釈してしまうのである。

その最たるものが、 佐世保市 の小学6年生の女子児童による同級生殺害事件である。言葉を自分のそのときの気持ち(感情)のまま自己流に理解して、それに固執し、自分のことを悪く思っているのに間違いない、と言葉に意味づけを与えた結果の悲しい出来事であった。

メールの言葉は文書の脈略が無い場合が多い。そこから誤解を招くきっかけにもなる。離れているので相手がどのような表情をしているのか分からない。送られてきたメールの文書の言葉の意味を問いただしたりできる人は問題ないだろうが、問いただせない性格の人もいる。メールの一言で傷つく人もいるのである。

メールは今や、日常生活と切っても切り離せない必需品といえるくらい生活に密着している。しかし、本来の人間関係は、対話・会話が基本である、と思う。対話・会話の際に分かる相手の表情・仕草・言葉の発し方などで言外に秘められた相手の気持ちを分かり、自分の気持ちも相手に分かってもらう。と、いうのが人間関係をさらに深め、相手を理解してゆく基本なのではないだろうか。メールはあくまでも簡便な連絡方法のひとつにとどめておくことが、健全なコミュニケーションをはかる能力が身に付くように考えるのである。

以上

文責 井上 俊彦

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